わたしは冴えない高校生でした。
入ったクラブも一年でやめてしまう。
格別勉強ができるわけでもない。
これさえしていたら何もいらない、と思えるものもない。
だから進む道もわからなければ、受験勉強をする意味もわからない。
当時は、前の見えない霧の中を歩いているような気がしていました。
真っ暗闇という感じではなく、灰色の霧という感じ。
思いもかけず元気さんと「げんきなこ」をはじめることになり、いろいろな場所で、トーク&ライブをさせていただくようになり、3年前、母校からも声をかけていただきました。
転校以来はじめて(わたしは3年生になる前に転校したので、卒業生ではありません。)、H高校にいきました。
山のてっぺんに建っている校舎。
自転車をこいでこいで、夏の朝はみんな、下敷きでスカートの中をあおぐのが日課だった教室。(H高校は当時から共学校でしたが、男女七歳にして席を同じゅうせずの名残だったのでしょうか、わたしたちの頃は、男女別クラスでした。)
同じ校舎、同じグラウンド。
過ぎた時間を切りとって、当時と今を貼り合わせたように何も変わらない風景に驚きながら、わたしは、あの頃のわたしのような生徒を探していました。
すれ違う生徒たちは、みんな明るくて、きらきらしていました。
みんな光を撒いたようにきらきらしていて、目の前の生徒たちから感じている健全な明るさに戸惑いました。
そんなことはないだろう。
一人くらいいるだろう。当時のわたしのように、霧の中を歩いている生徒が。
でも、見つけられなかったんですね、一人も。
驚きました。
そして思い出したこと。
当時、ごく身近にいた人から言われた言葉。
「毎日楽しそうだねぇ」
その言葉に、驚いたことを思い出しました。
こんなに毎日しんどいのに、この人の目には、わたしが楽しそうに見えている。
恋をして、魔法の力を失う魔法使いのおとぎ話がありますよね。
そんな風に、おとなになると見えなくなるものがあるのでしょうか。
きっと私にも、もう見えなくなったものがあるのでしょうか。
わたしには見えなくなった風景。 (写真yama-p)(きなこ)
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しゅうじ (木曜日, 02 2月 2017 07:03)
一昨年の10月31日に野球の試合の激写でH高校訪ねました。少し遅れて着いたのにどうしてもトイレ行かないとダメ状態で女生徒に尋ねたら一人は丁寧に教えてくれるはもう一人は付いてきてくれるはで女神かこの子たちはと思っちゃいました。ホームベースからスコアボード方向はまったくの逆光でというか海からの太陽は秋なのに学校全体を見守ってくれるように照らし、さっきの女生徒はああ~ここの学校の生徒なんやな~と勝手に納得した記憶があります。あとあたかも外野フェンスのように繁々と立つ木々が撮り手はこれままた最高のコントラストでしてまた訪ねてみたいと思っています。
きなこさんは元気に見えます。どんな魔法をつかっているのでしょうか、見習わなければです。今日も佳い一日を(^^♪
きなこ (木曜日, 02 2月 2017 08:50)
おはようございます。
野球の試合の激写でH高校?地区予選とか、何か公式試合があったのでしょうかね? 行かれたのですか、うれしいですねぇ♪
そうなんですよ、H高校の野球部のグラウンドのあたりの風景、とてもきれいなんですよね。グラウンドの向こうに日が沈んでいくそのきれいな風景も以前と変わっていませんでした。
野球グラウンドが、正門から学校までの道の途中にあるので、帰宅部のわたしは、傾いた日差しの中で、声をあげて練習しているユニフォームを眺めながら、毎日自転車で通りすぎていました。だから、野球部でもないくせに、校舎と同じくらい野球グラウンドが懐かしかったです。
野球グラウンドの風景など、何十年も思い出しもしなかったのに、見たとたんそれが昔も美しかったことを思い出して、自分の心にこんな風景が眠っていたのにも驚きました。
うれしいメールを、ありがとうございました♪