高校時代から、理系は苦手でした。
物理は、赤点。
化学で面白かったのは、水平リーベ僕の船、の呪文だけ。
数学は、数1までは、なんとかがんばりましたが、数2に入ると混迷の闇が深くなり、数3は漆黒の闇状態。
翌日の日課表にこの3つの科目があるだけで憂鬱でした。
わからないから、眠くなる。
眠さでモウロウとした頭でいつも思っていたのは、なぜこれを私が勉強しなければならないんだろう。
10年後、わたしに物理が必要な可能性はゼロ。
必要ないものを全員が何百?時間も勉強し試験を課すのは、劣等感という感情を学習するため・・?、なんてことを思ったりして、だからなおさら頭に入らず、理系科目はますますちんぷんかんぷんになっていきました。
大人になって思いかえすと、あのころ私が思っていたことは、半分本当で半分間違っていました。
高校を卒業したわたしは、理系科目と関わりなく生きてきました。これは予想通り。
でも、最近気がつきました。
わたしは理系と関係なく生きてきたのではなく、理系が得意な誰かが物理や化学や数学を使って考え動かしてくれている社会の恩恵の中で、暮らしているのだと。
高校時代の赤点の日々は、劣等感を学ぶためではなく、他の人への感謝の気持ちを学ぶためにあったのかも・・・、と最近は思ったりしています。
(安本洋子さん) (きなこ)
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