余は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。
悟りということは、いかなる場合にも平気で死ぬことかと思っていたのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きていることであった。
子規
正岡子規の「病床六尺」という随筆を読んでいます。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句で私たちが知っている俳人正岡子規です。
子規は、35歳で脊椎カリエスで亡くなっています。
脊椎カリエスは、結核菌が脊椎に感染して起こる病気で、今は完治するそうですが、当時は「死に至る病」、しかも布団に寝たきりのまま、痛み、ときに激痛とともに日を暮らす壮絶な病気だったようです。
本のタイトル「病床六尺」も、布団の大きさ6尺、だいたい180センチほどでしょうか、そこから見た世界、といった意味でつけられたものだと思います。
最初に挙げた子規の一文を、なにかで目にして、読んでみたいなあ、とずっと思っていた本でした。
「病状六尺」は、「日本」という新聞に毎日連載されていたそうですが、これは子規の強い希望だったようで、新聞「日本」の責任者に、自分の命がこの連載によって支えられていること、新聞に掲載されているのを見ることで、死ぬほどの苦しさから蘇ること、少しでもいいから載せてほしい、といったことを訴えて、連載は亡くなる2日前まで続いたそうです。
元気さんのおじいさんも結核で、やはり35歳で亡くなったと、元気さんのお母さんから聞いたように思います。
「10年後には、結核は不治の病気でなくなっとるじゃろう」と言いながら、幼い4人の子供と、妻には「再婚するな」の言葉を残して亡くなったそうです。
そんなことも思いだしながら、読んでいるところです。
(写真、yama-p)(きなこ)
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