元気さんのお使いで、時々一人で釣具やさんに行きます。
私は釣りをしないので、釣具の名前がよくわかりません。
ナス型おもりの小指の半分くらいの、だの、メバル胴付き仕掛けの1、だの、元気さんの言うのをメモした紙を見ながら、店内をウロウロして探します。
いつも思うのですが、釣具って、ほんとうに種類が多いですよね。
今日も、「ハリスの2.5で、10メーターか20メーターくらいのね」と言う元気さんの欲しいハリスを探しあてるのに、店員のお姉さんと二人、ずらり並んだ「ハリス」コーナーの前で、右へ左へ、10分ほども背伸びしたり、しゃがんだりしていました。
一体全体、釣具の品数がこんなに豊富なのは、日本だけなんでしょうかね。
元気さんと結婚したばかりの頃、二人でタイにいきました。
そのときも元気さんは竿を持って行ったのですが、あれは何という川だったでしょう、ゆったりと流れる夕暮れの川に竿を投げる元気さん、でも投げども投げども魚は釣れず。
で、ふと見ると、少し離れたところに少年がいて、山から切り出したような簡単な竹ざおで、ひょいひょいと魚を釣りあげているではありませんか。
いくら投げてもボウズの元気さん、心乱れたのか手元が狂ったのか、ルアーを投げた拍子に、竿が手から離れて宙に舞い、川の流れにポチャン。
あああ、と見ている間に竿は流れて、やがて消えました。
釣具って、ホントに意味あるの?
思い出すたび、チラとそう感じる思い出です。
(絵、安本洋子さん)(きなこ)
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しゅうじ (木曜日, 16 3月 2017 05:55)
「弘法は筆を選ばず」という言葉の意味を、私は時々取り違えてるかなと思ったりします。つまり、「一流の人間は道具に拘らない」という意味ではなく、「一流の人間は、一流の道具でなくても、一流の仕事が出来る能力を持っている」ということでもなく、「一流は道具が一流か善し悪しが解る」ということではないかと。すいません、その心はの説明もなく、また川に竿が流れてしまったOMGな件とも全く関係のない話で(#^.^#)
げんき (木曜日, 16 3月 2017 09:57)
かつて渓流つりに勤しんでいたころは、つりざおにこ
げんき (木曜日, 16 3月 2017 11:59)
失礼しました。渓流つりにいそしんでいたころは、つり竿にこだわりがあり、硬調先調子5.3mを好んで使っていました。値段もそこそこのものでした。
翻って、今、海に行く際は全くこだわりありません。でもカムチャツカに行く際は徹底的にこだわりますよ。(笑)
音楽制作に関してですが、あたらしい音源を調達しました。いい音を目指してます。
ね
kinako (木曜日, 16 3月 2017 13:48)
「一流は道具が一流か善し悪しが解る」
しゅうじさんからコメントいただき、朝から、用事しながらも、ぼんやり、ずっと考えています。
一流は一流がわかる、というしゅうじさんのコメントを読ませてもらって私が一番に思い出したのは「類は友を呼ぶ」ということわざです。
素敵だなあ、と思った人に「素敵な方ですね」というと「私はまわりの人に恵まれているだけなんですよ」と言う言葉を幾度か返されました。それを聞くたびに、素敵な人は引き合うのかなあ、と感じます。
自伝を読んでいても、偉人と言われる人は自分のジャンルと関係ない別分野の偉人と仲がよかったりするんですよね。
偉人の友情と、一流が一流を見抜くこと、ちょっと違うかもしれないですけど、極めた人だけが感じることができるシンパシーというか、感じあうものというか、そういうものってあるのかなあと思ったりします。
きなこ (木曜日, 16 3月 2017 13:53)
投稿名がアルファベットのまま、変換前に何かのキーに手が当たって送信されてしまいました。訂正することもできないパソコン音痴です。パソコン、5流です。失礼しました。
しゅうじ (金曜日, 17 3月 2017 21:24)
元気流、きなこ流を極める、探し求める旅をずっと続けて類友の輪が広がるといいですね♪
きなこ (金曜日, 17 3月 2017 21:43)
怠け者の私は、ついついのんびりしがちなのですが、しゅうじさんのコメントには、いつもシャキッとするような気持ちになります。
自分流を極める。
なんだかタイムリーに、いいコトバをもらった気がします。
まずはダイエットからはじめようかなぁ。
ありがとうございます♪