正岡子規、まだまだ読んでいます。
脊椎カリエスという病気は、当時はたいへんな痛みを伴う病気だったようです。
「病床六尺」は、子規が亡くなる2日前までの5ヶ月間、当時の新聞に掲載された随筆ですから、その痛みももっともひどかった時期なのでしょう。
「狂人となってしまえば楽であろうと思うけれども、それもできぬ。
もし死ぬことができればそれは何より望むことである。
しかし死ぬることもできねば、殺してくれるものもない」
そんな中で綴った随筆です。
でも、随筆を読んでいて感じるのは、重苦しさではなく、快活さ。
これはひとえに子規の性格によるのでしょう。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
教科書にも載っていて、みんなが知っているこの俳句のどこがいいのか、どんな意味があるのか、全然わからなかったのですが、「病床六尺」を読んで、子規のまっすぐな性格を感じて、そして子規が法隆寺を見ながら柿を食べている風景を思ったら、あまりにもすんなりとその風景が想像できました。
病床にあっても、交代で俳人仲間に見舞われ、俳句談義をしていた子規。
俳句だけでなく、その人柄も皆から愛されていたのでしょう。
たくさんある子規の句の中で、この一句が選ばれているわけを、ちょっと感じました。
(絵、安本洋子さん)(きなこ)
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しゅうじ (水曜日, 29 3月 2017 06:01)
今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな 正岡子規
かなりの野球好きでも会ったようですね⚾
きなこ (水曜日, 29 3月 2017 08:53)
しゅうじさん、おはようございます♪
子規、そんな句も作っているのですね!
「三つのベースに人満ちて」、って、満塁のことですよね。
その表現がオモシロイ。そりゃ、「胸が騒」いだことでしょう。
この本の中には野球は出てきませんが、いかにもスポーツ好きらしい感じがする人なんですよ。
今、生きていらしたら、昨日のワールドカップ予選も、きっとワクワク見られたでしょうね♪