いつもゆっくりしている友人がいます。
わたしが待ち合わせの時間に遅れそうになって、慌てふためいて、
「ごめんなさい、ちょっとお待たせするかもしれません」
と電話しても、いつもゆったりした声で
「大丈夫だからね。急がないでいいんだからね。気をつけてきてね」
と、言ってくれます。
その声の中には、わたしを責める気持ちは一滴も感じられません。
彼女と出会って、もう5年ほどになります。
これまで何度か似たようなシーンがあったように思うのですが、彼女に「叱責された」と感じたことは一瞬もありません。
翻って、自分のことを考えてみます。
平凡な主婦であっても、毎日の生活は小さな約束や決まりごとに満ちています。
誰かと何かと関わりあいながら生活をしています。
自分の思いや予定と違ってしまうことも、当然あります。
思い通りにならなくて、心が乱れるとき、いつも彼女のことを思います。
彼女はお笑い芸人のようなおもしろいことを言う人ではないのですが、おしゃべりの中で、クスッと笑えるユーモラスな相槌をうたれることがよくあります。
そんなとき、彼女の相槌に笑いながら、ああ、この方は、相手の言葉やその場の状況を渦中で真正面に受け止めるのではなく、ちょっと距離をおいて、受けとめていらっしゃるんだなあ、と感じます。
彼女との5年の月日の中で感じているのは、彼女はスローライフを目指していらっしゃるわけではなく、「美しく生きたい」と思い、そのように生きることができている人なんだろうな、ということです。
ゆっくり、ゆっくり。
余裕を持って。
そして、美しく。
「美しく生きる」を具体的にしたら、「ゆっくり」になるんだなあ、と彼女に教えてもらいました。
(絵、安本洋子さん)(きなこ)
♪絵をクリックしたら、「ふるさと」とお聴きいただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=YC-A8ketfhE
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