学校には行っているけど、「ずっと誰とも話していない」という若者との会話です。
「車で走ってると、ネコやタヌキが轢かれているの、よく見るよね。
あれ見るたびに、轢いた人は、今、どんな気持ちなんだろうって思うの。」
「そうなんですか。」
「うん。轢いたそのときは、罪悪感とか、いやな気持ちとか、もちろんあると思うけど、でも、ネコだったりすると、日がたつと、そのときの気持ち、だんだん薄れるんじゃないかなって。
人間を轢いたほどには、罪の意識、続かないんじゃないかなって。
それって、社会的な制裁がないから、そうなのかな、と思ってみたり。
どういうことなんだろうって、いつも思うの。」
「それは、社会的制裁ってことより、仲間かどうかってことじゃないですか。」
「仲間かどうか?」
「自分が命を奪ってしまったのが、自分と同じ仲間である‘人‘かどうか、ってことで、あとの気持ちも違うんだと思いますけど。」
自分のことを過小評価し過ぎる彼の口から出た「仲間」という美しい言葉に、心が揺さぶられた会話でした。
(写真、yama-p)(きなこ)
♪写真をクリックしたら、エール~きみを信じている~をお聴きいただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=xvpbhhVY9Po
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スミピー (金曜日, 03 11月 2017 17:55)
げんきなこさん、こんばんは。
仲間かぁ…僕にはそんな発想どうやっても出てこないなぁ…
その彼のなかではきっと「仲間」という言葉のもつ境界線や意味がもっとフラットだったり大きかったりすんでしょうね。その純粋さゆえに学校で誰とも話せないのかなぁ??
色々考えさせられました。
スミピー (金曜日, 03 11月 2017 18:09)
追記…
「仲間」
文章上では、かっこ、閉じかっこ、をつければ簡単に強調されますが、その彼の頭の中ではそんなことしなくても、する必要もない、当たり前でいて大切な言葉なのでしょうね。
見習おうにもその美しさ、どうやっても敵わないなぁ…
と、またまたわけのわからない文章ですみません(汗)
きなこ (金曜日, 03 11月 2017 18:24)
スミピーさん、こんばんは。
そうですか、スミピーさんも、「かなわないなあ」と思われたんですね。
わたしも、そうなんですよ。
彼の「仲間」という(私も今、何も考えずに()つけていました)発想に、驚きました。
なんの気負いもなくそう話す彼の話をききながら、わたしもやっぱり、なんだか、自分が恥ずかしくなるような気持ちがしました。彼のその純粋さと「仲間」に対する強い思いが、逆に彼を一人にしているのかな、とも思いました。
こんなに「仲間」を欲している人が一人でいて、心をひねらせていないことも素晴らしいなと思ったし、きっといつか、彼が自分に自信がもてたとき、自分から仲間の中に入っていけるのだろうとも感じました。
でも、私自身は、「自分の世長けてしまった部分」に気付いて、ちょっとブルーになっていたので、スミピーさんとこの話ができて、とても心救われました。
ありがとうございます♪