近所のAさんが亡くなられました。
犬の散歩で、朝夕よく団地を歩いていらして、それで仲良くなりました。
ボランティアで、団地の草刈もしてくださっていました。
家の前でブーンと音がしているのに気がつき、窓を開けると、Aさんの草刈機の音でした。
そのたびに急いで麦藁帽子をかぶり、ゴミ袋とがんざきを持って、表に飛び出していました。
「ええのに」
と、やさしい笑顔で、いつも言ってくださいました。
「Aさんのおかげで団地がきれいになって、助かっています。いつもありがとうございますね」
と、言うと
「ええんよ、わしは暇なんじゃけぇ」
と穏やかに言って、また草を刈りはじめます。
刈ってくださった草を私が集め、時々取りとめもない世間話をしながら作業が終わって冷たい麦茶を飲まれると、
「ごちそうさん。それじゃあ、お疲れさま」
と言って車に乗り込み、次の場所に移動されます。
少し離れた場所から、また草刈機の音が聞こえていました。
Aさんの葬儀には、地域の方がたくさんいらっしゃっていました。
きっとわたしと同じように、みんな、Aさんによくしてもらっていたのだと思います。
みんな「ありがとうございました」と心の中で言いながら、祈っていたと思います。
奥様は少し詰まりながら、でも気丈に喪主をつとめられました。
「主人は皆さんにご縁をいただき、いい人生だったと思います」
とだけ短く挨拶をなさいました。
経歴の紹介や、肩書きの披露はありませんでした。
特別な演出もなく、ただ、みんなの感謝の気持ちがあふれた葬儀でした。
かなしいけれど、いい葬儀でした。
(写真、yama-p)(きなこ)
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Nishikori (月曜日, 13 5月 2019 22:36)
私の実家の隣でも大工さんとして
うちの母屋、離れなどを作ってくださった方が亡くなられました。72歳でした。お世話になっていた方が亡くなられると心にしみてくる思いがあります
きなこ (火曜日, 14 5月 2019 14:29)
Nishikorisann、こんにちは♪
そうですね、年をとるということは、こういう気持ちを感じることなのかな、という思いがしますね。
このような気持ちを感じながら、わたしたちが子供のときにお年寄りだった人たちも日々を過ごしていたのだなあ、と思ったりもしますね。