「幼稚園のとき、ブリキのコップを持っていくのが、ほんとうにイヤだったんよね」
おしゃべりの最中に、なにげなく、娘が言いました。
「え?ブリキのコップって、今、私が鉛筆立てにしているあのコップのこと?」
使いすぎて底に穴があき、今は鉛筆立てになっているブリキのコップが、私の机の上にあります。
「かあさんが鉛筆立てにしてるかどうか知らないけど、豚とか牛の絵がついたコップのこと。
みんなはキャラクターのついたかわいいコップなのに、わたしだけあんなコップにお茶をついでもらうのが、すごく恥ずかしかったんよね」
全然知らなかったので、びっくりしました。
今又再放送しているようですが、私は小学生の頃、「大草原の小さな家」が大好きでした。
アメリカ開拓民だったローラ一家の物語です。
NHKのテレビ放送が始まる前から、母が買ってくれた「大きな森の小さな家」の本を読んで、「大きな森」に暮らすローラの生活にあこがれていました。
大きな森の中で、父さんの建てた木の家に暮らすローラは、豊かではなかったけれど、読者の私があこがれる様々なものを持っていました。
とうもろこしの芯に服を着せたお人形。
豚の腸を膨らませた風船。
カリカリに焼いた豚の尻尾・・・。
そんな憧れのグッズのひとつが、ブリキのコップでした。
ローラはそれでお茶やお水を飲んでいました。
ローラが使っているそのブリキのコップがほしくて、小学生のころ、ずいぶん探しました。
母も協力して探してくれました。
でも、私が暮らしていた田舎町には、そのようなものは売っていませんでした。
近くで一番大きな街だった徳山の「近鉄松下」の食器売り場でも探しましたが、そこにもありませんでした。
徳山の「近鉄松下」にないということは、世界中にないのと同じことでした。
でも買えなかったために、ブリキのコップは、憧れのままで、ずっと私の胸の中に残ったようです。
大人になって、私の子供たちが幼稚園に入園することになったとき、入園案内に「お弁当と一緒にコップを持ってきてください」と書いてあり、街にコップを買いに行ったとき、偶然ブリキのコップをみつけました。
豚と牛と羊とニワトリが並んでコップをぐるりと取り囲んでいる図柄のそのコップは、あんなにほしかったローラのコップのイメージに、どんぴしゃでした。
ブリキのコップがほしくてたまらなかった、あのときの気持ちが、たちまちよみがえりました。
うれしくて、何の迷いもなくそのコップを2つ求めて、幼稚園に通う子供たちに持たせていました。
まさか、そのコップが娘を毎日憂鬱にさせていたなんて。
思いだしてみれば、私も自分の母がしてくれたことで、心ひそかに傷ついていたことがありました。
大人になって、母に話したこともあるかもしれませんが、ほんとうに傷ついたことは、いまだに言うことができません。
母に悪気はなく、きっと今でも母には思いもよらないことで、ただ幼いわたしが勝手に傷ついていたのです。
きっと娘にも、ブリキのコップよりもっと、私のしたことで傷ついたことがあるかもしれません。
子供だから言えなくて、ただ傷ついているだけだったかもしれません。
親子というのは、哀しいなあ、と思いました。
(写真 Oさん宅で「富士山」を弾く元気さん)(きなこ)
コメントをお書きください