「ようわかっちょるからね」
母の口癖です。
何がわかっているのか、わからないのですが、母のその言葉を聞くと、今の今まで全然かなしくなかったのに、突然涙がこみ上げて困ります。
よく気がついて、やさしすぎる母ですから、母の想像は現実を遥かに超えて、のんきな娘への想像は当たってないに違いないのです。
当たっていない想像をして、胸を痛めているのは母の方でしょう。
親なればこそ。
元気でいてね、と思います。
(絵、安本洋子さん )
「ようわかっちょるからね」
母の口癖です。
何がわかっているのか、わからないのですが、母のその言葉を聞くと、今の今まで全然かなしくなかったのに、突然涙がこみ上げて困ります。
よく気がついて、やさしすぎる母ですから、母の想像は現実を遥かに超えて、のんきな娘への想像は当たってないに違いないのです。
当たっていない想像をして、胸を痛めているのは母の方でしょう。
親なればこそ。
元気でいてね、と思います。
(絵、安本洋子さん )
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スミピー (火曜日, 22 9月 2020 17:04)
げんきなこさん、またまたお久しぶりにブログに失礼します。
なんだか読ませていただきながら、お母さまがきなこさんをご心配されるお気持ちと、きなこさんがお母さまをご心配されるお気持ちがすごく似ているような気がしてこちらまで胸が締め付けられるような気持ちになりました。
確かに親は子を思うとき、想像を遥かに超える気持ちで思いやり、心痛め、何事もないことがわかるとまた、安心するのでしょうね。
僕も親にかなり迷惑をかけてきたので、その心配といったら計り知れませんが、苦労をかけたぶんどうか元気でいてほしいと願う気持ちは年々強くなってくるのを感じます。
何だかだんだん小さくなっていく父や母の姿を見ると堪らなくなってきますが、自分が元気でいれば親も何よりも嬉しいのかなと今この投稿を読ませていただきながら思いました。
いつも素敵なブログありがとうございます。
きなこ (水曜日, 23 9月 2020 12:58)
スミピーさん、コメント、ありがとうございますね。
親思う心にまさる親心、と�田松陰が詠んだのはまだ20代の青年だった頃のことなのですね。
私は、その年頃、親の心をどれほど思っていたかと思います。
私は踏ん切りの悪い人間で、これまで何に付けても、これで後悔はない、と思ったことがないような気がするのですが、別れがやってきたら、そのあとずっと後悔とかなしさを抱えて生きていかないといけないような気がして、そう思うから余計に、げんきでいてほしい、と願ってしまいます。
げんきでいてほしい。
元気じゃなくても、生きていてほしい。
大切な人が生きていてくれることが、心の安寧を下支えしてくれているのだと、
でも、それは意外と不安定なものだということも感じています。
スミピーさん、いつも心に寄り添ったコメントをありがとうございます。