私の曾祖母、つまり母の祖母は、私が小学生の時に亡くなったのですが、
その曾祖母のことが、母はとても好きでした。
母が4歳くらいのとき、5キロほども離れていたでしょうか、山の中腹にあった祖母の家まで、2歳の弟の手を引いて行ったそうです。
曾祖母は魚売りのおじさんから魚を買って
ふたりの孫に魚を焼き、身をほぐして食べさせて、
「おばあちゃんは、自分には骨にお湯をかけて食べちょったんよ」と
繰り返し聞かされました。
曾祖母が亡くなった後、曾祖母が漬けたラッキョウを、
母は長いこと大事にしていました。
たまに、何か「重大なこと」があると
「これを食べんさい」と、
流しの下からラッキョウの瓶を取り出して、一粒だけくれました。
「重大なこと」と言ったって、熱が出るとか、試験の前とか、平凡な家族の「重大事」はその程度のことだったと思います。
子供にとって、ラッキョウは食べたいものでも、おいしい物でもなかったのですが、
母が「母の大事なものをくれている」ことだけは感じながら、
うれしいような、そうでもないような気持ちで
「ひいおばあちゃんが守ってくれちょるから大丈夫」
という母の言葉を聞きながら、ラッキョウを口に放りこんでいたことを思い出します。
きっと弟も同じだったと思います。
曾祖母のラッキョウは、意外と長く、
確か私が大学生になってもまだ我が家にありました。
瓶の中でどんどんあめ色が濃くなり、柔らかくなりすぎていくラッキョウを惜しみながら、母が何を思っていたのかわからないのですが、
「ずっと取っていてもしょうがないしねえ」
と、つぶやいていたのをかすかに覚えています。
最後の1粒のラッキョウを、母がどんなとき取り出し、
家族の誰が食べたのか記憶にありません。
なぜか今夜、曾祖母のラッキョウのことを思い出し、
母は最後のラッキョウとどんな気持ちで別れたのだろう、とふと思いました。
秋の陽(ひ)の日向水(ひなたみず)掌(て)にぬくとくて 祖母のことなど思い出すなり
きなこ母作
(絵、安本洋子さん)(きなこ)
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N (金曜日, 13 11月 2020 01:30)
こんばんは。COVID-19を乗り越えて、ほんとに元気にライブ復活おめでとうございます!何だかきなこさんの歌声も表情も輝いて見えて、それこそ、元気づけられた思いもしたし、何といっても懐かしかったです。元気さん、hpでの配信も大変ありがとうございます。本当に久しぶりですね。
ところで、きらり廿日市のFM音声どうやってたどりつくのでしょう?きけました?
きなこ (金曜日, 13 11月 2020 13:37)
Nさん、こんにちは。
うれしいコメントをありがとうございました。
わたしこそ、そんな風に感じてくださってうれしい気持ちを、今いただいてうれしくなっています。ありがとうございます。
こういう気持ちって、キャッチボールですよね。
どちらかだけがうれしくて、どちらかだけがそうでもない、ってことはないような気がしています。
元気づける、ということも同じですよね。
私たちもNさんのお言葉で、今、どれほどしあわせな気持ちにしていただいているか。
毎日には、ちいさな落ち込みや、ちいさながっかりや、自己嫌悪もありますが、
今日の私の空をきれいな色にしてくださったNさんのコメントでした。
ありがとうございますね。
ところでFMはつかいちはたぶん1週間たってしまったので、もうサイマル放送が終わって、今週の方に変わったのかもしれませんね。
せっかく聴いてくださろうとおもってくださったのに、すみませんでしたね。