「仕方ないよね。」
これまでに何人かの人から、何度か聞いたこの言葉。
その言葉を聞くたびに、その人の越えて来た人生のけわしさと強さを思います。
誰もどうにもできないことを、本人に「仕方ない」と言われると、なにもできない自分の無力を思い知り、弱さが情けなく、もう何も言えません。
言葉は無力です。
思いも無力です。
どんなに思っていても、私が変えられない現実。
でも、仕方ないと思えないと、思っていることを伝えたくて。
(絵、安本洋子さん)(きなこ)
*絵をクリックすると、「青空のなかのふうせん」をお聴きいただけます。
https://youtu.be/99oAD71gp6A
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スミピー (月曜日, 16 8月 2021 03:46)
どうしてやりたくてもどうにもできない、
本人の絶望から出てきた
「仕方ない」
それ変えたくても変えてあげられないもどかしさ…
リンクにある「青空の中の風船」の歌のように一緒に悲しみを眺めることなら…
でもそれすら無力に思え仕方ないこともありますよね。
あ、ここにも仕方ないが…
でもそうやって想いの限りを尽くすことはきっと何かの光に繋がると思ったりもします。
そうやってあなたの人生をまだ信じている人がいると…
きなこさんの想いが、色んな角度から切なく響き胸が詰まる思いがしました。
すみません、また訳のわからない文章になってしまい…
スミピー (月曜日, 16 8月 2021 07:17)
それ変えたくても→それを変えたくても
でした。
誤字まですみませんm(_ _ ;)m
きなこ (月曜日, 16 8月 2021 12:43)
すみぴーさん、こんにちは。
コメントをありがとうございます。
ここ数日、ずっとぼんやりと、頭の端で「仕方ない」の人のことを考えていました。
何もできない私は黙っているほうがよくて、何もしないほうがいいのではないか、とか。
ずっと以前に、「包帯を巻くことができない人は、その人の傷口に触れないほうがいい」という言葉を聞いたことがありました。
そうかもしれないなあ、とも思っていました。
でも、考えた末に、思いだけは伝えさせてもらおう、少しの時間をもらって、と今は思っています。
何もできなくても、「自分を大切に思っている人がいる」という事実は、枯れ木も山の賑わいくらいの力にはなれるかも、と思いました。
「あなたの人生をまだ信じている人がいると・・・」
すみぴーさんが書いてくださった言葉の通りですね。
今もどうすることがいいのかよくわからないのですが、これからも迷いながら「仕方ない」ことに出会っていくのだろうなあ、と思っています。
やさしいコメントをありがとうございました。