お彼岸でお寺さんがお参りしてくださいました。
母の手作りのおはぎを食べて、祖父母が残したアルバムを見ながらハワイから祖母の姪家族が遊びに来たことなどなどをおしゃべりしたあと、いつものように父が「絵を見てくれえや」と言い、二人で父の画室(田舎なので、部屋はいくらでもあるのです)に上がり、父の絵を見せてもらいました。
見たことのない絵がたくさん並んでいました。
ああこんなにも私は帰ってなかったんだ、と思いました。
「手が振るうて、もうこんな絵しか描けんようになった」と父は言いながら、あれこれと絵を見せて説明してくれたあとで、「尾道の絵をもらってくれんかの」と言いました。
コロナが流行り始める前ですから、2019年の5月だったと思います。
両親と元気さんと4人で尾道の除虫菊の花畑を見に行きました。
尾道の絵を描きたいと言っていた父の願いと、魚釣りがしたいという元気さんの願いと、除虫菊の白い花畑を見たいという私の願いを叶える小ドライブを4人でしました。
父が段ボールの箱のふたをひらくと、日の光に美しく輝く除虫菊の白い畑と瀬戸内海が現れました。
初夏のあの日のきれいな瀬戸内の風景が、キャンパスの上に描かれていました。
「ここにあんたらあとお母さんがおるんじゃ」
と父が指すところを見たら、除虫菊の畑の端っこに、小さく3人の人がいました。
まるであの日の私たちが小人になって、絵の中にいるような気がしました。
お父さんがおらんじゃないかね、と言いかけて、画家は描いているんだからいるはずないよね、と、言葉を飲み込み、代わりに
「ええ絵じゃねぇ」
と言ったら、涙が出ました。
マスクがあってよかった。
メガネでよかった。
声がくぐもらないように、涙止まれ止まれと、こっそりメガネの下の涙を拭いました。
「絵をもらってくれるかの?」
と再び父が言い、
「そりゃ、貰ういね、ええ絵じゃねぇ」
と言うと、
「そうか、そりゃあ良かった。記念になるじゃろ」
と父が言いました。
そのあとアイスを食べながらまた話をしている間に、話下手な父は庭に出たのかどこかへ行ってしまい、母と二人でおしゃべりをしました。
「お彼岸に、ようけ話してもらっておじいちゃんとおばあちゃんが喜んじょるよ」と言いながら、お土産におはぎとお昼の煮物とそして父の絵をもらって車に乗りました。
お彼岸が冬でも夏でもなく、気持ちのいい春と秋で良かったなあと思いながら、帰りました。
今日の歌は、「飯山」です。
いつものように絵をクリックしていただくとお聴きいただけます。
良かったらお聴きください。
(絵、安本洋子さん)(きなこ)
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