「近いうちに、垣根の剪定に行っちゃるけえ」
と、父が言ってくれていました。
『頼むね。でも、遠距離の運転は危ないけえ、今度からうちに来てくれるときは電車で来てえね』
実家から我が家までは、遠くはないけれど、近くもありません。
『わかった、わかった』
と約束していた両親が、車に乗って我が家に到着しました。
玄関先に停まった父の軽自動車から下りてきた母に
『あんなに言うちょったのに』
と、お疲れ様も言わずに文句を言う私。
『怒らんでちょうだいね。お父さんが、どう言うてもきかんから。』
と言いながら、車から次々、ミカンや野菜のダンボールを下ろす母。
よろけている母のダンボールを引き取りながら、なおも、
『電車で来るって言うたじゃ』
という私に、
『お父さんが電車で来るはずないじゃろ。お父さんの性格を知っちょるじゃろ』
と母。
人にしてあげるのはいいけれど、人に甘えることができない父。
垣根の剪定のためにきてくれるのに、さらに野菜やらミカンやら…、山ほど車に積まないと来られない父。
『危ないけえ、電車で来て』
と言う孫や娘の言葉と
『荷物が持っていけんけえ、車で行く』
と言い張る父の板挟みになって、おそらく家で父と言い合って、結局助手席に乗って付いてきたのだろう母。
なんて不器用な両親なんだろう。
そして年をとるというのは、なんて悲しいことだろう。
そう思いながらも、なおもブツブツと
『なんで電車で来んかったんかね』
と言い続ける私に、笑いながら母は
『もうこれが最後じゃから。
もうこの車をここで見ることはないから、よう見ときんさいよ』と一言。
そう言われたら、もう何も言えなくなりました。
そのあとみんなで庭仕事をしました。
意外と早く垣根の剪定作業は終わって、いっしょにカレーうどんを食べたあと、午後からは父の畑からとってきたじゅうたん(リュウノヒゲ)を植えて、そして西陽が眩しくなる前に両親は帰っていきました。
父の車の後ろ姿を見送りながら『もうこれが最後じゃからね』といった母の言葉がリフレインして、「涙、出るな、出るな」と脳が指令を出していた涙は、車が曲がり角を曲がるまで、私の目に留まってくれませんでした。
約束を破った罪滅ぼしにか、両親が持ってきてくれた握り寿司をお夕飯に食べながら、『どうしてこう不器用なんだろう』とかなしい気持ちを持て余しました。
これは昨日の話です。
1日たった今でも心が傷んでいます。
きっと昨日のことを、私は一生覚えているでしょう。
親が年をとるというのは、親にとっても子にとってもかなしいことですね。
絵をクリックしていただくと、「かなしみは続かない」をお聴きいただけます。
(絵、辻千春さん)(きなこ)
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山P (月曜日, 06 12月 2021 15:23)
娘思いの優しいご両親ですね。
私にもきなこさんのお父様と全く同じ性格の父がいるので頷ける事ばかり。
どこまでも平行線で、こちらの心配など完全スルー。
でもちゃんと伝わってますよ。
私の父は最近割と素直に聞いてくれる様になりました。
ただ、いつも一緒に隣に居た母がもう居なくなる事と引き換えだとは想像もしていませんでした。
お庭綺麗になって良かったですね!
ご両親は満足感でいっぱいだと思いますよ。
きなこ (火曜日, 07 12月 2021 12:04)
山Pさん、こんにちは。
そうですか、おんなじ性格のお父様なんですね!
山Pさんも、きっとさまざまご心痛されてきたことでしょう(笑)
ほんとうに、どうして?と思うことばかりです。
でも私も、ごくたまに父が素直に聞いてくれると、罪悪感のようななんともかなしい気持ちになってしまうのも事実です。年をとったのかなあ、と。
いつまでも変わらないことは恐ろしいことなのかもしれないけれど、両親の変化については、もともと困っていたことであっても、変わっていくことはせつないですよね。
やさしいコメント、うれしかったです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
コロン (日曜日, 19 12月 2021 20:31)
ふと、姑さんの事を思い出しました。
一年に一度の帰省。私たちが帰るとき、ルームミラーから見える姑さんは
いつも泣いていました。今はもう泣いてくれる方はいなくあの時の姑さんの気持ちがわかる年齢になりました。
きなこ (火曜日, 21 12月 2021 12:30)
コロンさんの投稿を読ませていただきながら、帰省していた私たちを見送ってくれていた祖母を思い出しました。
子どもだった私は、後部座席に後ろ向きになって、ちいさい祖母がどんどん小さくなるのを見ていました。
ほんとうに。
歴史は巡る糸車ですね。
そうだなあ、そうだなあ、と思いながら、コロンさんの投稿を読ませていただき、ちょっと心がしーん、としています。